田辺哲男に想う・1

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画像引用:田辺 哲男|タックルインプレッション|シマノ -SHIMANO-


田辺哲男さんをご存知だろうか?日本でバスプロと言えば僕はこの人、結構個人的にリスペクトしている。そんな田辺さんと村田基さんが対談って形で動画を出されていました。今回はそのまとめ・・・。



 



 日本のバスフィッシングの創世記の話は知っておくべきだ!



#01 村田基×田辺哲男 あの時代~バスフィッシング創成期~


日本でバス釣りが始まった頃、今では信じられないかもしれないけど、メガバスもジャッカルも無かった。リールはアブ、ロッドはフェンウィック、ルアーはアメリカ物がメインで、全てが洋物、それもかなりの憧れだった覚えがある。


僕が釣りを始めたのは小学4年の時、オヤジに連れられていった渓流が最初、だった気がする。釣りだけで歴を語るならもう30年釣りをしてることになる。よくもまー、飽きないで続けてきたもんだ。


ブラックバスって魚を知ったのは中学入ってからだったかな?その時もまだダイワかシマノしかルアーが無かった様に思える。あってもトップウォータープラグが全盛で、ザウルスの則さんや、ズイールの柏木さんを雑誌で読んでいた気がする。


だからこの動画の話は僕が始めた少し前の話。知らなかったこともイッパイ、とてもおもしろく拝見させてもらいました。


この話の頃には入鹿池に行ってました


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80年台後半から90年台にかけて、僕がよく通う入鹿池にもバスがいると聞いては釣りに行った。少年だったので自転車を漕ぎ、凝りもせずただルアーを投げることが楽しかった時代だ。この頃はもうメガバスがハンドメイドメーカーとしてあったかな?ダイワには加藤誠司さんがルアーデザインしてたし、この話の時代あたりでダイワもシマノもアブと肩を並べるメーカーになっていた。でも依然としてアブは垂涎モノのリールだったし、ラパラのルアーに一喜一憂したもんだった。


前半3話の時代背景


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この二人が話をしている時代、もっと魚釣りに温和だったように思える。自宅から入鹿池まで10kmほどの距離を自転車で通う少年を、西の湖や芦ノ湖まで連れて行ってくれたおっさんもいたし、腹が減った顔をしてたらパンをくれたおっさんもいた。ボート屋まで行けばジュースを内緒でくれたおばちゃんもいたし、何より釣れなくてもワイワイと楽しかったのだ。


最近じゃこうして文章を書くのが仕事になって、堅いことをたまに書いてるけど、とどのつまりまだ入鹿池でのんびりと楽しみたいのだ。


釣ることや釣れることが目的じゃないブログなので、「楽しみ方」をもっと共有したいのだ。若いやつも含めて、それで良いのだと、お二人の動画を観ていて思ったのでした。


おつきあいありがとうございます、それでは皆さん、よいつりを・・・。